●今月は、石川丈山(いしかわじょうざん)が亡くなった月です。
丈山は、詩仙堂(京都市左京区)を作った人です。
正確には、丈山が隠居の為に作った山荘です。
●詩歌の達人でしたので
好きな中国の詩人36人を選びその肖像画を狩野探幽に描かせ
それぞれの詩をその絵に丈山が自ら書き加えました。
その為に詩仙堂(下の写真)と呼ばれております。
丈山は書の達人でもありました。
[上の写真は、詩仙堂の裏庭です。後方の屋根が詩仙堂です。
丈山が考案したと言われる鹿脅し(ししおどし)が手前右側の木の下に有ります。]
●実は、丈山は隠居名です。
本名は、石川嘉右衛門重之という歴とした武士で
三河以来の家康の家臣です。名門です。
その丈山(33歳)が
大坂夏の陣の時に
一番槍の手柄を立てましたが
先陣争いをしない命令になっていた為に
軍規に触れ家康に叱られました。
その事が原因で武士を辞めたと言われております。
その後、京都に住み丈山と名前を替えました。
丈山は、茶道その他の文化に秀でていて
なかでも庭作りは
小堀遠州と並び名人です。
因みに、
一休寺の庭は
松花堂昭乗、佐川田喜六の三人の合作です。
●上の写真は、丈山の墓です。詩仙堂の裏山に有ります。
この階段を登った所かすかに見えるのが墓碑です。
私の身丈の倍の高さほどの立派な物です。
●6月のよもやま話は、「古田織部」です。
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