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離れの茶室


●「離れの茶室②」素敵な言葉ですね。
響きの良い言葉ですね。
どれほど凄い家なのかと思いますね。
蝠棲庵」と名付けました。
●父が良く言っていました。
我が家はアヒルの水掻きの様なものだ。
表向きは、池に浮かんで優雅ですが水中では必死に水を掻いている。
まったくその通りです。



 [我ながらうまく石が敷けたと思っております。
 七五三と縁起良く合計15個の石を敷きました。]





 [上の写真は、4月中旬から下旬にかけてとても綺麗な楓です。]





 [上の写真は、腰掛け前の柱を接ぎ木してお洒落しました。
 四面蟻接ぎと云う特殊な方法です。令和元年7月吉日]





 [上の写真は、我が庵から
 駒が出る事を願って埋めた瓢箪です。](令和元年9月吉日)





 [上の写真は、七五三の割り付けをしたくぐり戸です。良い味が出てきました。
 一番右上の和釘は、
 私をお茶の道に誘ってくれた原早苗先生の茶室の釘です。
 原先生が守ってくれてます。]



 

 [上の写真は腰掛です。背もたれの板は江戸小紋を染める時の捺染板です。
 寒い時期でしたので手炙りを出しました。]





 [上は、塵穴の写真です。穴の横にある石は覗き石と呼ばれています。
 ほんの今、露地を綺麗にしました。と云うパフォーマンスです。
 私の師・山田先生から譲って貰いました。]





 [上の写真は、縦樋に被せた竹が落ち着いたので撮りました。
 亡き父が好きだった時雨(しぐれ)灯篭にも灯を入れてみました。]





 [樋の金具の所は、こんな風に楽しんで加工しました。]





 [上は裏庭の写真です、高岡市の瑞龍寺(前田利常)の基礎を真似して
 石を鍵型にくり抜きました。]





 [こんな処も石をくり抜きました。色々と楽しんでます。]





 [上の写真は、土留めの瓦です。この瓦は、天竜寺(八王子市北野町)旧本堂の瓦です。
 わざと割り付けをぴったりにしないで、少しずらしました。]





 [水屋の床が痛んでささくれましたので、扇型に象嵌しました。
 お洒落になりました。]





 [少し早いですが、茶道口の襖を簾戸に替えました。
 設えは、4月ですので温かくなってきた小川の水をふんだんに茶室に取り込んだ
 大瓶水差大板を敷きて の設えです。]





 [大瓶水差です、金継をしてもらいました。実は、欠けていません。
 Oさんにお願いしてグラインダーで削り金を漆で塗り付けました。]





 [上の写真は、手作りの蹲踞です。父が元気な頃です。
 仲間の色抜き屋さん(世田谷松原)の木村さんが作ってくださいました。
 八海山の石だと云う事です。
 又、後ろの蛸壺は、母のお気に入りで、とても大切にしていた物の一つです。]





 [上の写真は、魔よけの鬼瓦です。天竜寺(北野町)旧本堂の鬼瓦で、
 三個頂きました。一番大きい鬼瓦をトイレの処(上の写真)。
 二番目のを躙り口の処。三個目を勝手口の処に置きました。 





 [上の写真は、笠置き石を撮りました。
 笠置き石は、本来腰掛の外側ですが、私共では構造上無理なので
 腰掛の下座寄りにしました。]





 [こんなお洒落をしてみました。楽しんでいます。
 灯籠の宝珠です。市守大酉神社(お酉様)から拝領しました。
 お酉様が守ってくれています。]





 [上の写真は、関留石です。この石より先には行けません。
 と云う合図です。要するに道案内の石です。]





 [今日は、お彼岸(R2年9月)です。
 やっと葭簀の窓ができてきました。夏の風情が一段と増しました。]





 [腰掛横の角が痛みますので保護の為にカバーを付けました。
 鑿(のみ)跡を付けて化粧をしてくれました。]





 [水屋から庭を見た景色です。父が集めた群馬県の鬼石の石と聞いております。
 父の大好きな平多角灯籠が置いてあります。]





 [父がとても気に入っていた蹲踞(つくばい)です。
 吾唯足知(われただたるをしる)の文字が彫られています。]





 [実は、この柱にも扇子を象嵌しました。
 目立たない処ですので誰も気が付いてくれません。]





 [夏用の葭簀の障子を注文しましたら、「姿図」と云う仮の障子をとりあえず
 作って来ました。始めて、私は「姿図」を見ました。]





 [令和3年11月 お茶室を作った時に取り付けた竹の樋が痛みましたので、
 二代目の竹樋(たけとい)を取り付けました。
 切り取った竹の青色は、とても清々しいです。
 手前の飴色の竹は、丁度四年前に取り付けた樋カバーです。]





 [話が前後しますが、上の写真は、
 二代目の竹樋(上の上の写真)を制作中の市民塾の皆さんです。]





 上の写真(葭簀の障子)は、長男が生まれた時に購入した物です。
 40年以上も前の物です。



●令和5年5月吉日
待ちかねていた「引手」がくぐり戸に取り付けられました。
茶壺をデザインしました。



裏側は、おしゃれにゴマ竹を使ってくれました。



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Copyright 西室 博史 2003