●今月は、秀吉が小田原の北条氏政討伐に
聚楽第を出発した月です。
この時に利休も連れて行きました。
●この前年の11月に北条氏政(
早雲の曾孫)に
宣戦布告をして
この3月に出発しました。
実に総勢22万という大軍団です。
一ヶ月後の4月にはもう小田原城を囲っています。
秀吉は、始め早雲寺(北条家の菩提寺)に本陣を置き
その後、
石垣山へ城を築きそこへ移りました。
四ヶ月後の7月9日には北条氏政は降服して城を引き渡し、
その二日後の11日には城主氏政と弟の
氏照は切腹、
子の氏直は徳川家康の娘婿という事で高野山に追放されました。
ところで、この大遠征の食料や軍需品の調達は
石田三成が担当しました。
●さて、利休はというと小さな箱(箪笥)を背負って小田原へ行きました。
この時の背負った箱(箪笥)が「旅箪笥(下の写真)」と言う名前で残り
その箪笥を使ってお茶を点てる点前が現在に伝わっております。
又、この陣中で伊豆の韮山にて竹を切り出し
その竹で花入れ(花器)を作りました。
それを秀吉に見せた所、秀吉は何故か怒って庭に投げ捨てました。
その花入れにひびが入ったので利休は園城寺と名付けました。
●利休は、この翌年の2月に切腹しました。
●上の写真は、その旅箪笥です。
鍵付のけんどん蓋の為に開け閉めが楽しいです。
●当初の旅箪笥は中の棚が上下逆に使っていました。
●4月のよもやま話は、「信長への遺言状」(斉藤道三)です。
又、聞いて下さい。
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