●今月は、
武田信玄が
滝山城を攻めた月です。
信玄は、駿河の海を得る為の陽動作戦の一コマとして、
北条氏照(
北条早雲の曾孫)の滝山城を叩きました。
●永禄12年、信玄が青梅方面から攻めて来ました。
滝山城の真正面です。
当時、甲州への道は、青梅回りでした。
下の写真の川(多摩川)向こうに甲州軍が現れ、
風林火山の旗をはためかして、威風堂々と陣を布きました。
●氏照は、甲州勢の陣形を見下ろしながら、
「良く訓練されている。見事なものだ。しかし、
甲州勢なにする者ぞ、甲斐の信玄坊主め、来るなら、来い。」
●滝山城は天然の要害で、しかも、負け知らずの北条軍なので、
氏照は意気盛んでした。
もともと、氏照は、主戦論者で、
彼の手紙には、「如意成就」の文字の印判を使うくらいですから
向こうっ気が強く、好戦的でした。
●そこへ、信玄の別動隊が小仏峠(現在の甲州街道)を経て、
滝山城の裏手にあたる南浅川・廿里峠方面に突如として現れました。
氏照は、予期せぬ事と、
急遽、重臣の横地、近藤を廿里峠に向かわせましたが、
簡単に破られ一気に二の丸まで攻め込まれました。しかし、
●この二の丸の門前で、
勇敢にも氏照自身が
自慢の槍を振るって甲州勢の猛攻を退けました。
この話は、郷土の誇りとして、語り継がれてきました。
●この後、信玄は、小田原へ向い、引返して
三増峠へ向かいました。