●今月は、京都の豪商茶屋
四郎次郎(ちゃやしろうじろう)が
亡くなった月です。
●四郎次郎は、家康の
三河時代からの商人と云われています。
本名は、中島清延といいます。
●四郎次郎の家(京都)へ家康が泊まっていた時に
「本能寺の変」が起こりました。
当然、家康は何も知らないで堺見物に出かけていました。
四郎次郎はいち早くこの事件を早馬で家康に知らせました。
しかも、家康の為にあるったけの銀を胴巻に入れて走りました。
混乱した堺(近畿地方)から家康の領国(三河)への帰国に
その銀を役立てる為です。
四郎次郎は、家康一行の先へ先へと回り
手持ちの銀を配っては一行の安全を確保しました。
●因みに、この家康一行の供をしていた武将は、
井伊直政
本多忠勝、榊原康政、酒井忠次、石川数正、
服部半蔵、
大久保忠隣達たった34人という小人数でした。
●その後、四郎次郎は秀吉から
朱印状をもらい
安南(あんなん)貿易を行い
角倉了以、
後藤庄三郎と共に
「京都の三長者」と呼ばれるようになりました。
●
三方が原の戦い、
小牧長久手の戦いにも軍需品を全て任されています。
●上の写真は、四郎次郎宅の跡です。新町
蛸薬師下ルに有りました。
●私事ですが、四郎次郎宅跡は、
私が京都時代に勤めていた店のすぐ近くでした。
ここの一筋北側の店で
丁稚をしておりました。
とても懐かしかったです。
●8月のよもやま話は、「越前の名門」(朝倉義景)です。
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