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今月のよもやま話

平成16年7月・文月

もう一人の悲劇の藩主(松平定敬)

●今月は、伊勢桑名の藩主が亡くなった月です。
●ご存知の通り、幕末の最大の悲劇は、会津藩です。
会津藩の藩主が松平容保(かたもり)で、容保の弟が、
今月の桑名の藩主・松平定敬(さだあき)です。
この兄弟は、美濃高須藩主・松平義建(よしたつ)の息子達で、
容保が六男で、定敬が七男です。
高須藩から、それぞれ会津藩・桑名藩へ養子にきました。
●定敬は、普通でしたら、殿様として、
何不自由のない恵まれた日々を送れるはずでしたが、
悲劇の藩主になってしまいました。
●兄の容保が京都守護職の関係もあり、
19歳で京都所司代に推され、
薩摩長州の謀略で朝敵にされ、
鳥羽伏見の戦いで負け、その後は、
逃げて回る生活に変わってしまいました。
江戸→柏崎→長岡→会津→米沢→仙台→函館と逃げて回り、
最後には、東京へ出頭しました。
●写真は、の穂先型をした桑名城天守閣跡に建つ
戊辰戦争殉難の碑です。
「槍の穂先」の形というのが純粋な桑名藩らしくて好きです。


        

●桑名城跡(桑名市)は、九華公園となっています。
穂先には、「忠哉義哉桑名士民」と彫って有ります。
●今月はこれにてお仕舞です。
有難うございました。
●8月のよもやま話は「茶くれん寺」(秀吉)です。又、聞いて下さい。

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Copyright 西室 博史 2003