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今月のよもやま話

平成15年2月・如月

薩摩の話(島津家)

●お正月休みを利用して鹿児島へ行って来ました。
今月は、薩摩のお話です。
●島津家は、鎌倉以来の名門で、
戦国以来、中央の支配者に対し四回も抵抗しました。
が、潰されないで生き残りました。
「島津にバカ殿様なし」と言われるゆえんです。
●初めは、秀吉の九州平定の時、二度目は、関が原で、家康に。
この二回は悔しい思いをしました。
負けはしましたが、島津の兵は強いと印象づけました。
三度目は、幕末に、長州(毛利家)と共に自ら革命の旗手になり
維新を行いました。
四度目は、越すに越されぬ田原坂の西南戦争。
●さて、江戸時代では、島津家(70万石)は、
前田家に次いで、二番目の大大名です。
一番目の前田家は、徳川家と融和策をとってきたのに対し、
二番目の島津家は、毛利家(同じ関が原の負け組み)と同様に、
『「関が原」を忘れるな。』
を合言葉に徳川家を270年間恨み続けて、敵対してきました。
●徳川家を敵視し、薩摩飛脚の言葉が生まれるくらいに、
秘密主義の過激な独立国の体をとってきました。
●下の写真は、外敵(徳川家)から国を守る為の
外城(とじょう)制度の知覧の町です。
●対する徳川家では、江戸までの間に、
防御の為の大きな城を置きました。
熊本城、広島城、姫路城、大阪城、名古屋城です。
●非常に特徴の有る垣根です。
夫々の武家屋敷には、敵が攻めにくい工夫(屏風岩等)がして有ります。
●今月はこれにてお仕舞です。
有難うございました。
●3月のよもやま話は「南無六字の旗」です。又、聞いて下さい。

ご指摘・ご意見等ありましたら、是非 こちらまでメール下さい。

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Copyright 西室 博史 2003