●今月は、毛利元就(もうりもとなり)が生まれた月です。
そこで、毛利家(
長州)の話です。
●
毛利家は、「
関ヶ原の役」の戦後処理で、
家康に騙され一夜にして、中国10ヶ国の太守から、
周防、長門2ヶ国に減らされました。
その為、家康を恨んでいました。
居城も歴史が有り交通の便が良い山口か、
気候の温暖な防府のつもりでいましたが、
山陰の片田舎の萩に追いやられました。
●家臣は、それでも、
藩主輝元(てるもと・元就の孫)を慕い、無禄でも良いからと
着いて来ました。
その為、国が困窮して、
武士から百姓になった人が少なくはなかったです。
●それ故、「いつか仕返しをしてやる」と言う気持が
国中の人々に浸透しました。
●毎年元旦に家臣が並び、
藩主に新年の挨拶をしますが、その時に、家老が
「殿様、今年は、やりますか」(徳川を討ちますか。)藩主が
「まだまだ」と答えるのが慣例となっていました。