●今月は、豊臣秀頼の家臣・木村重成が
大坂の陣(夏の陣)で、
討ち死にした月です。
●最近は、「いかに生きるか」が大切ですが、
昔は、「いかに死ぬか」が大切でした。
どのように死ぬかが大事でした。
「名こそ惜しむ」の
鎌倉以来の教えが武士道精神の根底に有りました。
●さて、重成は、戦いの前日の晩に、
鎧兜に香を焚き込めて、
新妻(この年の正月に結婚したばかり)と別れの杯を交わしました。
時に重成は、二十二歳。新妻は、十七歳でした。
●翌朝、決死の覚悟で、怒涛のように押し寄せる徳川勢めがけて
突撃して行きました。
徳川勢で最強と言われる
赤備(あかぞな)えの井伊軍と出会い
ここを死に場所と突き進んで行きました。
重成は、一歩も引かず「進めっ!進めっ!」と働きましたが、
多勢に無勢、ついに力尽き、
井伊家の家臣・庵原助左衛門に討たれました。
そこへ、庵原助左衛門の同僚・安藤長三郎が来て
助左衛門に「重成(しげなり)の首が欲しい」と申し出たので、
助左衛門は、その首を安藤長三郎にあげました。
●それゆえ、ここ彦根の安藤家の墓(下の写真)に
重成の首塚が有ります。
●さて、本題です。戦後の首実検の時に、
重成の首から、お香の優雅な香りが漂い、思わず
家康が
「惜しい若武者を亡くした。」とつぶやきました。