●先月、お盆休みを利用して金沢へ言って来ました。
今月は、加賀のお話です。
●加賀は、戦国の始め、一向宗(地侍・百姓)が、
室町幕府の守護大名を倒し、加賀の国を支配しました。
その後、約100年間も一向宗の合議制の政治が続きました。
「加賀は百姓(地侍)の持ちたる国」と呼ばれていました。
●その後、戦国の末期(信長の時代)に、
前田利家が入ってきました。
●そして、二代目の利長が、前田家生き残り作の為、
母(芳春院)を江戸(
徳川家康)へ人質に出しました。
その時、芳春院は、「私は、もう年だ。覚悟はできている。
母を思うあまり家をつぶしてはいけない、私を捨てなさい。」
と気丈なところを見せました。
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三代目の利常は、鼻毛を伸ばし、口をあけ、バカ殿様を装い、
能、
茶道、うるし工芸、焼き物等に
うつつを抜かした振りをしました。
生き残りの方法でした。
●とにかく、豊臣恩顧の大大名ということで
福島正則の二の舞を踏まないように
いつも、戦々恐々としていました。
●しかし、戦の備え(徳川に対して)は怠りませんでした。
石川門(下の写真)の瓦が、薄っすらと雪が積もった様に
白く見えるのは、瓦の上に鉛の板が葺いてあるからです。
表向きは、雪で瓦が凍って割れない為としていますが、
この鉛は、戦の時には、鉄砲の弾にするつもりでした。