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今月のよもやま話

平成13年10月・神無月

三増峠(武田vs北条)

●今月は三増[みませ]峠で、武田信玄2万と
北条早雲の曾孫・氏照・氏邦兄弟2万の戦いが有った月です。
●三増峠は八王子より車で40分位のところにある峠です。
山あいのトンネルを抜けた所に、なだらかな斜面の
かなり広い土地が有ります。
この広い場所が三増合戦場跡です。
●信玄は、勝敗より兵を損なわず、無事に甲州へ帰る事を
第一としていました。しかし、氏照・氏邦は雌雄を決する
つもりで、この合戦に望んだのです。
氏照は滝山城で、氏邦は鉢形城で、この約半月前、
信玄に攻められ、落城寸前の痛い目を負わされました。
この悔しさを、この機会に晴らすつもりで、
手ぐすねひいて待っていました。
向こっ気が強い氏照は、「信玄は小田原を盗る事に執心している、
しかし、小田原城は、越後の謙信が攻めても落ちなかった堅城、
必ず、父、氏康殿に翻弄されて、虚しく甲州へ帰るだろう、その時は、
ここ三増峠を通る、ここで、甲州勢を向い討ち、
父・氏康殿が小田原を討って出れば、挟み撃ちにできる。
今こそ、我々精鋭2万が、滝山、鉢形の恨みを晴らす時ぞ。
信玄を討ち取るのは今だ。」
●しかし、信玄はすべてを見通していました。
滝山城・鉢形城を落とさず、もう一歩の処でやめたのも。
小田原城を囲み3日で撤収して、氏照・氏邦が待伏せしている三増峠を
越えて、甲州へ帰るのも作戦通りでした。
●すでに、信玄の将・山県昌景が氏照・氏邦軍の後ろへ回っており、
逆に挟み討ちにしたので、氏照・氏邦軍は、総崩れとなりました。
その後、氏康・氏政親子が小田原本城から、駆けつけたが、間に合わず、
すでに、負けており小田原へ引き返しました。
●この後、信玄は、作戦通り一旦、躑躅ヶ崎[信玄の館]へ帰り、
翌11月、小田原を再度攻める振りをして、
手薄な蒲原城[富士市]を落し、駿河へ進出しました。
山国の信玄が念願の海を手にする為の大きな作戦でした。
●滝山城・鉢形城攻撃から始まる一連の壮大な作戦が成功しました。
信玄の夢が、又一つ叶いました。


●上の写真は、三増古戦場の碑です。
大軍が戦うのに適した広さです。
●今月はこれにてお仕舞いです。
有難うございました。
●11月のよもやま話は「会津の話」です。又、聞いて下さい。

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Copyright 西室 博史 2001