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西室博史の

又続 知ったかぶりコーナー


関が原の恨み

関が原の合戦の時に、広家が、
本家の毛利家(毛利輝元)の安泰を条件に、
徳川家康(東軍)に内通しました。その為に、
西軍(石田三成側・毛利輝元が総大将)が負けました。
本家の毛利輝元は、負けた側になりました。
当然、領地は没収されました。
そこで、広家は困り果て、
家康から自分に貰える恩賞(長門、周防の2ヶ国)を
毛利輝元へ譲る事にしました。
しかし、輝元側には、恨みが残りました。
●広家は、真に「毛利家の為になる」と思ったのです。
家康に騙されたのです。

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