●今月は、岩国藩(山口県)初代藩主(領主)の
吉川広家(きっかわひろいえ)が亡くなった月です。
そこで、吉川家の話です。
●吉川家は、
三万石の大名ですが、特殊な
藩(?)です。
大名として
認められていなかった藩です。
●一般的に、大名が参勤交代等の為に
他国の城下を通る時には、
大手門の前で槍を伏せて通過するのが礼儀とされてきました。
●しかし、本家の
毛利家が、ここを通過する時は、
吉川家に
関が原の恨みがある為、
槍は伏せませんでした。
●その事を知った他の大名も
吉川家を無視して槍を伏せず
そのまま城下を通過するようになりました。
そこで、吉川家では一計を案じ
街道の松の枝を、街道を横断するように横に生やしました。
そうしましたら、松の枝が通行の邪魔になり
仕方なく、槍を伏せるようになりました。
●その松が、錦帯橋を城側に渡った処にあります。
「槍倒しの松(やりこかしのまつ)」と言われております。