●今月は、「源さん」こと
新撰組の井上源三郎が亡くなった月です。
●時は、幕末、維新回天の時
近藤勇・
土方歳三・沖田総司達が目立ちますが、派手ではないが、
いぶし銀の光を放つ人物が井上源三郎です。
●井上家は、室町時代・駿河の今川家から続く歴とした武家で
兄の松五郎は、八王子千人同心の一人です。
源三郎は、実直・温厚な人柄で、
試衛館[近藤道場]当時から「源さん、源さん」と、
仲間に親しみを込めて呼ばれておりました。
●近藤勇が天然理心流の試衛館の四代目襲名紅白試合を
府中の大国魂神社の境内で行なった時には、近藤勇がもちろん総大将、
沖田総司が「スタート」の太鼓役で、
源三郎が「終り」の鉦役を受け持ちました。
●
新撰組では、源三郎は六番隊組長を務めていました。
鳥羽伏見の戦いで、敵の弾丸を受け戦死、
壮烈な最期であったそうです。
甥の井上泰助[この時11歳]の話では、
「叔父さんは、手当の時間も無く息を引取ってしまった。
叔父さんの首と刀を持って歩き出したが、
人間の首がこれ程重いとは、思ってもみなかった。
遅れがちになったので、同行の隊士から
『その首を持って一行から遅れると、敵に捕らえられる。
残念だが捨てろ。』といわれ、
仕方なく、ある寺の門前の田圃を掘って、首と刀を埋めた。」
と言っております。
●井上家のご当主雅雄様のご好意で、
近藤勇より貰った刀を拝見させて戴きました。
下の写真がそうです。大和守秀国と銘が有ります。
秀国は
会津藩の刀工で、ここでも会津藩との縁が伺われます。
井上家の家紋が鞘の表側に四ツ、裏側に三ツ付いておりまして、
又、雨用の刀袋[写真の一番上]までも用意されております。
ここにも、近藤勇の繊細な気配りが感じられます。
●最後になりましたが、快く資料を提供して下さいました、
日野市の井上雅雄様に改めて御礼申し上げます。