令和7年5月・皐月
「増田長盛」(豊臣の奉行)

●今月は、増田長盛(ましたながもり)が切腹した月です。
[上の写真は、長盛のお墓がある平林寺(へいりんじ・埼玉県新座市野火止)の
山門です。こちらの山門の揮毫(きごう)は、京都詩仙堂の
石川丈山です。]
●秀吉亡き後の豊臣政権保守(対家康)の為の奉行(後世
五奉行と呼ばれます)です。
増田長盛、長束正家、前田玄以の
三人の奉行名で
家康の悪事を公表する
弾劾状を、諸大名に出しました。しかし、
あろうことか、長盛は、家康にこの事を密告内通していました。
この後の、
関が原の戦い、更にその後の
大坂の陣では、大坂(秀頼)方に付いたのを咎められて
一時、高野山に預けられ命は助かったものの
結局は表裏者となり切腹となりました。
●増田長盛の名前は、
三条大橋の欄干擬宝珠に刻まれています。
[上の写真は、増田長盛の墓です。私の左隣には武田信玄の
次女(見性院)のお墓がありました。見性院は、
信玄の重臣・穴山梅雪の正室です。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。