令和4年7月・文月
「十七烈士」(蛤御門の変)
●今月は、禁門の変(
蛤御門の変・
どんどん焼け)が起きた月です。
[上の写真は、攻め込んだ長州の隊長・来島又兵衛が薩摩藩士に狙撃され倒れ、
これまでと思い自刃した場所です。蛤御門から入った正面にある木です。]
●長州藩は、2年前の「
8月18日の政変」で京都を追放になり
名誉と勢力回復を願っていました。そこへ、
新撰組の「
池田屋切り込み」事件が起こりました。
この事が長州藩を怒らせ決行の決断をしました。
武力で御所に訴えたのが禁門の変です。
●
長州勢が負けて天王山まで逃げて来ました。
ここで、久留米の
真木和泉達17人が
殿(しんがり)となり
再起を図る事を願い長州の人々を無事に逃がしました。
自分達17人は、その後、爆死自害しました。
[上の写真は、天王山に有る「
十七烈士の墓」です。
こちらの墓には、長州の考え方に同調して、共に蛤御門で戦かった長州の人達を、
無事長州へ逃がした17人の墓です。
久留米藩・真木和泉ら長州人以外の墓です。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。