令和元年7月・文月
京のどんどん焼け(蛤御門の変)
●今月は、
蛤御門の変があった月です。
「京のどんどん焼け」と云われたように町中を焼きました。
火の粉は、嵐山まで飛びました。
[上の写真は、長州の陣が有った嵐山の天龍寺です。
丁度、半化粧が一番良い時でした。]
●嵐山の天龍寺に御所を攻めた長州の陣が有りました。その為に、
御所を守った薩摩勢が、天龍寺の門前に大砲を並べて
一斉射撃をしようとすると天龍寺の僧が出てきて、「待ってくれ」と
「もう、長州勢は居ない。ただ御仏が居るだけだ。撃つな。」と、
「しかし、御所を攻めた長州の陣に一発の砲弾も撃ち込まないのは筋が通らない。
空砲を撃とう」と、でも、撃ち込まれたのは実弾でした。
天龍寺は、燃えてしまいました。
[上の写真は、天龍寺の塔頭・弘源寺(京都市嵯峨天龍寺)にある
長州藩兵が口惜しさのあまり柱に残した刀傷です。]
●8月のよもやま話は、「 」( )です。