令和3年9月・長月
異見十七ヶ条(織田信長)
●今月は、信長が将軍足利義昭に「
異見十七ヶ条」を出した月です。
●「異見十七ヶ条」とは、信長が、足利義昭の行動を
十七ヶ条に纏めて意義を申し立てた事です。
[上の写真は、義昭が将軍になる前に世話になった
朝倉家(一条谷)の城下町、
その出入口です。下城戸(しもきど・福井市城戸ノ内町)跡です。
一条谷の北側の一番谷が狭くなっている所です。]
義昭は、信長の力で将軍になったのですが傀儡将軍と気が付くと
脱信長を図り
信長包囲網を計画しました。これを知った信長は、
義昭のその謀略と行動に対し意見しました。
●十七ヶ条の各条は、随分と具体的で細かく書いてあります。
信長の縁切り状の様にも見えますが、
将軍の職に有るべき姿を示している様でもあります。
●信長は、この10ヶ月後には
義昭を追放します。
[上の写真は、義昭が一条谷から上洛した時に御所としていた本圀寺跡です。
ここ本圀寺(堀川通り五条上ル)は、
朝鮮通信使が滞在した寺でもあります。
尚、本圀寺は、昭和になって京都山科に移りました。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。