●今月は、朝鮮通信使が秀吉に謁見に来た月です。
●朝鮮通信使とは、朝鮮からの外交使節団で室町時代から続いています。
釜山から海路、対馬、壱岐、下関、瀬戸内海、大坂城へと、そして、
淀川を船で上り伏見から陸路京都へ、更に、江戸に向かうのには東海道を下った。
[上の写真は、朝鮮通信使が宿泊した神皇寺のあった所です。
現在は、正村阿弥陀堂(壱岐市勝本町)が建っています。
神皇寺の礎石が残っているそうです。]
●秀吉への謁見は、秀吉の日本統一のお祝いを目的としていますが
裏では、秀吉が朝鮮に攻め込んで来るのか、来ないのかを偵察に来ました。
内偵の報告は、正使は「朝鮮に秀吉は攻め込んでくる」
副使は「侵攻の話は噂話でその意志はない」と報告しましたが
朝鮮王は王に近い副使の意見を取り入れました。
秀吉は、攻め込みました。秀吉最大の汚点です。
●その後、朝鮮通信使の復活には宗氏が国を挙げて力を注ぎました。
[上の写真は、朝鮮通信使が上陸した雁木跡です。雁木とは、
船着き場の桟橋の事です。京阪本線淀駅前(京都市伏見区)の
稲葉神社(写真の左側)参道入口にあります。
尚、写真正面は、與杼(よど)神社です。]
●1月のよもやま話は、「戦国最強の武士」(上泉伊勢守信綱)です。
又、聞いて下さい。
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