令和2年1月・正月
切支丹大名(高山右近)
●今月は、高山右近(たかやまうこん)が亡くなった月です。
●右近は、切支丹大名として有名で、
秀吉の 切支丹禁止令で信仰を守り大名を捨てた人です。
又、
蒲生氏郷、
古田織部、と並んで
利休七哲の一人です。
[上の写真は、カトリック玉造協会(大阪市中央区玉造)に有る右近の像です。
右近は、領民が死亡した時には棺桶を一緒に背負ったと云われています。]
●大名を捨てた後、加賀の
前田家で長く過ごしました、その後、
切支丹追放令で
国外に追放されました。その少し前の事です、
右近が
少庵(利休の二代目)の茶席に入る前に
宗旦(利休の孫)が新調した
十徳を右近に着せました、その時
右近の手が震えて顔が紅潮しました。
宗旦は、この様子を見て茶の湯とは大したものだと思ったと有ります。
[上の写真は、右近も見たであろう加賀の金沢城・五十間長屋です。
長屋と呼んでいますが武器庫です。]
●2月のよもやま話は、「 」( )です。