平成30年2月・如月
会津を造った武将(蒲生氏郷)
●移転の後遺症がまだ長引いています。もう少しです。
●今月は、蒲生氏郷(がもううじさと)が亡くなった月です。
織田信長に認められ信長の娘を嫁にしております。優秀で名門です。
[上の写真は、氏郷が生まれた滋賀県蒲生郡日野にある像です。]
●秀吉の時代に、命で
伊達政宗の抑えという事で
会津
若松(当時は黒川)に転封になった時に
「こんな田舎に来ては、『いざ』と云う時に
我家の家紋を背負って京に上がる事もできない。」
と嘆いたそうです。
●氏郷は、
利休七哲と呼ばれその筆頭です。
利休の息子・少庵が京都所払い(利休切腹の時)になった時にこの縁で、
会津の氏郷を頼りました。
[上の写真は、氏郷を支えた日野商人(
近江商人)の屋敷です。
現在は、記念館になっています。]
●3月のよもやま話は、「和算の神様」(関孝和)です。