●今月は、「千宗旦」が死去した月です。
宗旦は、
祖父(利休)の悲劇を繰り返さない為に
大名には仕えませんでした。
その為、収入が無く生活は楽ではありませんでした。
乞食宗旦(こじきそうたん)と呼ばれていました。
ですから、食事は、安価な「ひじき」ばかり食べていました。
●ある時、細川三斎(細川藤孝の長男)より
「好物が手に入ったので、食事に来なさい。」との話がありました。
宗旦は、久々に美味しい物が食べられると期待をして、
屋敷に伺ったところ、食卓に載ってた物は、
「ひじき」ばかりでした。
そこで、宗旦は、私は貧乏だから「ひじき」を食べていますが、
「殿様は、お金持ちですから、もっと美味しい物を出して下さい。」
とお願いしたそうです。
●そんな宗旦ですが、子供達をそれぞれ違った大名に仕官させ、
三家に分家(
表千家・
裏千家・
武者小路千家)し、
お家の安泰を図りました。
●下の写真は、14歳の時に、
籠に乗ったままのお祖父さん(利休)と無言で最後の別れをした
大徳寺の山門です。