●移転の後遺症がまだ長引いています。
●今月は、以心崇伝(いしんすうでん)が亡くなった月です。
[上の写真は、家康の遺言で金地院(京都左京区)に崇伝が作った東照宮です。
家康の遺髪と念持佛が納まっています]
●京都南禅寺の金地院(こんちいん)に住んでいましたので金地院崇伝とも呼ばれていました。
崇伝は、スーパーエリートで黒衣の宰相と呼ばれ徳川幕府の基盤を作りました。
武家諸法度、禁中並公家諸法度や朱印船の朱印の許可を一手にやっていました。
なかでも崇伝の一番目立った大きな仕事は
豊臣家に対する歴史上最大の言いがかりと云われている
方広寺大仏殿の鐘銘事件です。
この言いがかりが豊臣家を滅ぼし、徳川家を盤石なものにしました。
●更に、紫衣事件を起こし幕府を絶対なものとし、
朝廷が幕府の下位にあることを知らしめました。
[上の写真は、金地院大方丈前の鶴亀の庭です。小堀遠州が作りました。]
●2月のよもやま話は、「」です。
又、聞いて下さい。
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