引越しの後遺症がまだ抜けません。
●幕末。会津藩々主松平容保(まつだいらかたもり)が
上洛した月です。容保は、三条大橋を朝9時頃、
京都所司代に迎えられ家臣千名を従え威風堂々と本陣に到着しました。
この間、京都の町衆が両側に人垣を作り行列を見物しました。
[上の写真、本陣とした金戒光明寺の山門です。丁度この時は、修復中でした。]
●容保は、京都が見渡せる小高い丘で、しかも中心部に近い
くろ谷金戒光明寺を本陣としました。
京都の治安維持の為に最強の役職・京都守護職として上洛しました。
当時、最強の藩が島津藩で次に強い藩が会津藩でした。
これまでの警察組織(京都所司代)の上位の組織です。
その為に、京都の町では、下の歌が流行しました。
会津肥後様 京都守護職 務めます
内裏繁盛で 公家安堵
とこ世の中ようがんしょ
[金戒光明寺に有る会津藩士の墓地です。本堂の右側階段を登った先にあります。]
●1月のよもやま話は、「黒衣の宰相」(金地院崇伝)です。
又、聞いて下さい。
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