●今月は、福井藩祖・結城秀康(ゆうきひでやす・33歳)が亡くなられた月です。
名前の謂れは秀吉の秀に家康の康です。家康の次男です。しかし、
実の父・家康に好かれなかった子供です。理由は、双子で生まれてきました。
当時双子は畜生腹と呼ばれて嫌われていました。
その為に、父家康との対面が三歳まで無かったです。
●長男の信康が織田信長に自刃させられたので、跡取りは次男の秀康かと思われました。
しかし、秀吉の養子に出され大坂で人質同様となりました。
丁度その頃に家康の跡取りが三男の秀忠に決まりました。
[上の写真は、福井城跡(福井市)です。横矢掛かりを写しました。
右側の新しい建物は復元された屋根付の御廊下橋です。]
その後、養父の秀吉に実子(鶴松)が出来たので又、養子に出されました。
その家が結城家です。そこで「結城秀康」となりました。
関が原の戦いでは、家康側に属し会津の上杉景勝の南下を抑え、
その功績で越前(福井)68万石となりました。
金沢の前田家を牽制するする役目です。
その為に、福井城は家康が設計して天下普請で大規模に作りました。
●この家から幕末には、16代目の藩主松平春嶽が登場いたします。
[上の写真は、本丸跡にある福井の語源となった「福の井」と
呼ばれている井戸です。]
●5月のよもやま話は、「熱田神宮で戦勝祈願」(織田信長)です。
又、聞いて下さい。
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