●今月は、松平春嶽(まつだいらしゅんがく)が生まれた月です。
●春嶽が、中国の古典より「明治」という言葉を探し出し
元号(年号)として天皇に上申しました。
●春嶽は、田安家の八男として生まれ、
越前の
福井藩(32万石)の第16代藩主として養子に迎えられました。
●春嶽は、
幕末の四賢候と云われた一人で
門閥にとらわれず有能な人材(
橋本左内、由利公正)を多く登用し、
熊本の儒学者・横井小楠を顧問として迎えました。
●アメリカの
ペリーが来航した時には、
海防強化や攘夷を考えていましたが、その後、
開国を考えるようになりました。
●春嶽は、13代将軍(家定)の跡継ぎ問題の時には、
家康の再来と言われた
一橋慶喜を推しましたが
井伊直弼の反対に合い
つまらぬ口実を付けられ
霊岸島に隠居・謹慎させられました。
謹慎が解かれた後、
政事総裁職の任に付き、
参勤交代制を大幅に緩和し無駄を無くし富国強兵に勤めました。
そして、
京都守護職を新設し
松平容保を就任させました。
●春嶽は、12代将軍家慶の従兄弟で、
「慶」の字を貰い慶永(よしなが)と名乗りましたが
雅号の「春嶽」の方が本人は気に入っていました。
●写真は、西洋式の椅子に静かに座っている春嶽の像です。
彼を祭る福井神社(福井市・福井城内)に有ります。
●12月のよもやま話は、「最後の将軍」(徳川慶喜)です。
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