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今月のよもやま話

平成24年7月・文月

小田原落城

●今月は、小田原城(北条氏直・小田原市)が落城した月です。
●秀吉は天正17年11月に北条氏直に宣戦布告をして
翌年3月に聚楽第を華やかに出陣、4月に小田原へ到着、
すぐに石垣山へ城を造り本陣としました。
小田原を22万の軍勢で取り囲みました。
秀吉は力攻めを避けて
威圧をかけて北条氏を降伏させる作戦をとりました。
その為に長期戦を選びました。
そこで淀殿や能役者、商人、遊女達を
戦陣に連れて行き飽きさせない工夫をしました。


 [上の写真は、石垣山城(一夜城)の本丸跡です。
 正面向うに霞んでいますが小田原城が見えます。]

●秀吉は石垣山城(一夜城)から
小田原城を見下ろしながら立小便をしました。そして、
「三河殿(家康)も一緒にどうぞ」と小便を誘いました。
秀吉は小便をしながら「北条の地は三河殿に差し上げよう
城は江戸に造るがよろしかろう。」
と家康に言いました。
●ところで、小田原城内では城主(氏直)や氏政、氏照達が集まり
この戦の和戦の評定(会議)が長引いて決まりませんでした。
実際は打つ手が有りませんでした。
この長引いた会議から小田原評定という言葉が生まれました。


 [上の写真は、支城の山中城址(北条側)です。関東では山中城の様に
土塁を築き、土を固め、芝を貼る築城法でした。]
石垣の城は造っていませんでした。八王子城滝山城もそうです。

●8月のよもやま話は、「女好き」(秀吉)です。
又、聞いて下さい。

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