●今月は、八王子城が落城した月です。
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秀吉による、小田原の
北条征伐の時に、
八王子城も攻められました。
●前田利家(一万八千)、上杉景勝(一万)、真田昌幸(三千)
合計三万余の軍勢が攻めました。
秀吉はもともと戦は好きではなかったのですが、
たまには、厳しさを北条に示す必要があると考え、
八王子城がそのみせしめとされた為、
徹底的に攻められました。
●6月23日未明濃霧の中、攻撃が開始されました。
この時、八王子城の城主(
北条氏照)は、
小田原の本城に行っていて留守の為
城を守るのは、老将横地監物、中山勘解由、狩野一庵、と
地元の農民兵で、総勢二千人程度の人数でした。
皆、良く戦いましたが、午後2時頃落城しました。
無残にも女性と子供は、御主殿の滝に身を投げて死んだそうです。
●この八王子城落城がきっかけとなり、
この日から、数えて十八日後に小田原北条氏は滅亡しました。
●この時、前田利家が、
鎧を付けた場所を現在「甲の原」と呼んでいます。
工学院大学がある辺りと伺っております。
●下の写真は、
八王子城の名前の元となった
八王子権現社です。
●ちなみに、八王子城主・北条氏照は、小田原開城の時に
兄氏政と共に切腹しました。