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今月のよもやま話

平成23年3月・弥生

醍醐の花見(秀吉)

●今月は、秀吉が醍醐寺(京都市)で花見を行った月です。
●醍醐寺は、大きく二つに分かれていまして
笠取山の上の方を上醍醐、下の方を下醍醐と呼んでおります。
秀吉の花見は下醍醐で行われました。
秀吉が花見の件で醍醐寺に手紙を書いていましたら
右筆(代筆役)が醍醐の「醍」の字を忘れて秀吉に問い掛けました所
秀吉は「大」で良いと云ったそうです。
●秀吉は、この花見の為に金堂を紀州和歌山から移築し
花見用の御殿を建て、桜の花を700本植えさせました。
●当日は、息子(秀頼)、北の政所(正室)、側室や大名夫人を従えて
総勢1300人の花見です。
この1300人が三度も衣装を替える華やかさでした。
さて、北の政所や側室達の輿の順が決まっておりまして一番目が北の政所
二番目が淀殿、三番目が松の丸殿(京極竜子)、
四番目が三の丸殿(信長の六女)、五番目が加賀殿(前田利家の三女)、
六番目が友人のまつ殿(前田利家の正室)です。
花見の杯を受ける時に、北の政所の次に松の丸殿が出てきて
淀殿と順番争いがありましたが、
まつ殿(前田利家の正室)の仲裁でこと無しを得ました。
●この花見の半年後に秀吉は亡くなりました。



●醍醐寺の開山理源大師が老翁の教えで泉の水を飲みました。
その美味しさにおもわず
「ああ醍醐味なるかな」と云ったそうです。
醍醐寺発祥の地です。
●上の写真は、老翁から教わった泉の水を味わえるお社です。
●4月のよもやま話は、「堺の豪商」(津田宗及)です。
又、聞いて下さい。

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