●今月は、伏見(京都市)の寺田屋(船宿)で
薩摩藩同士の斬り合い(上意討ち)が有った月です。
●過激派6名、抑制派1名、計7名が死亡しました。
時は、幕末、「
攘夷、攘夷」と世の中が騒ぎ京都では、
天誅の風が吹き荒れる物騒な時代です。
●当時、寺田屋(下の写真)は
薩摩藩の定宿でした。
薩摩藩士の過激派有馬新七達は以前から
寺田屋へ集まって弱腰な幕府を倒そうと計画していました。
そこへ、薩摩の殿様の父(島津久光)が1000名の藩兵を率いて
上洛して来ました。
有馬新七は、「よし、倒幕だ」という事で
寺田屋へ集まって最終計画を練っていました。
その計画は、幕府の出先機関(
京都所司代)の襲撃でした。
この計画を島津久光が気づき彼らを抑える為に腕に覚えの有る武士を
寺田屋に送り計画を中止するように説得させました。
しかし、過激派は中止しません。その為、抑制派は
上意討ちにしました。
●実は、この時点では、まだ島津久光は倒幕の考えは無く、
公武合体を考えていました。
この後、島津久光は江戸に行きその帰りに
生麦事件が起こります。
●この約6年後の事です。
鳥羽伏見の戦いが、そして、倒幕となるのは。
●上の写真は、寺田屋の内部です。
この建物は当時の物とされていましたが、
当時の建物は鳥羽伏見の戦いで焼失してその後、
西隣に再建された物と京都市より最近発表が有りました。
●5月のよもやま話は、「居合いの神様」(林崎甚助)です。
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