●今月は、河井継之助が、
長岡戦争の鉄砲傷がもとで、亡くなった月です。
●幕末・
戊辰戦争の最大の悲劇が
会津戦争で、
最大の激戦が今月の長岡戦争です。
長岡藩と官軍の戦いです。
●長岡藩(74000石・藩主牧野忠訓・新潟県長岡市)は、
目立った産業もない田舎の
小さな藩です。
その小さな藩が官軍と互角以上に戦いました。
「もしや」と言うところまで奮戦しました。
その長岡藩の軍事総督が継之助です。
●継之助は、武士の世は近いうちに無くなり、
封建制度は、終わると考えていました。
継之助は、長岡藩の存続だけを純粋に考えていました。
そこで、継之助は、
何処にも属さない中立国(藩)を造ろうとしました。
幕府側にも、
薩摩、
長州側にも属さない藩を造ろうとしました。
その為、継之助は、
大胆な藩政改革で洋式軍隊を作り、
武装中立を唱えました。
●当然、中立の考え方は官軍に受け入れられず、
おしくも、負けました。