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今月のよもやま話

平成14年2月・如月

千利休

●今月は千利休が切腹した月です。
●利休は、秀吉より「内々の事は利休に、外の事は
秀長豊臣秀吉の弟)に」と言われる程信頼されておりました。
又、大友宗隣(九州のキリシタン大名)は、
「利休以外に秀吉へ一言も申しあげる事は出来ない。」
とまで言っております。
天下に並ぶ者が無いという権勢でした。しかし、
この事が、かえって仇となりました。
●利休の切腹の理由で、引き金となったのは、
大徳寺の山門(下の写真)に利休本人の木像を置いた事ですが、
本当の理由は、利休が邪魔になったからだと思います。
秀吉が天下を平定し、武家社会を確立したのに、
気が付くと町人の利休が、どこの大名よりも偉くなり、
尊敬されている。そして、
天下人秀吉を恐れる事なく、強気で意見を言う、
この高慢な町人(利休)を除かなければ、
武家社会の基礎が危ない。と考えたと思います。
●さて、利休の死後の事ですが、孫の宗旦が創った、
表千家・裏千家・武者小路千家の三千家の事は、
後日「乞食宗旦」の時に、お話させて戴きます。
因みに、私は、表千家を習っております。


●実は、利休は金毛閣(上の写真)の二階部分を寄贈しました。
大徳寺が、その御礼に利休の木像を置いたのです。
●今月はこれにてお仕舞いです。
有難うございました。
●3月のよもやま話は「三分一湧水」です。又、聞いて下さい。

ご指摘・ご意見等ありましたら、是非 kimonodeikou@nifty.comまでメール下さい。

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Copyright 西室 博史 2002