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今月のよもやま話

平成14年9月・長月

火吹き達磨(大村益次郎)

●「火吹き達磨」こと大村益次郎が京都で暴漢に襲われた月です。
彼は、この時の傷がもとで、二ヵ月後に死亡しました。
●大政奉還が行なわれた維新の仕上げの時。
彼は、突然歴史の表舞台に現れました。
●山口県鋳銭司村の医者の息子に生まれ、医者になる為に
緒方洪庵の敵塾で蘭学を学びました。御典医の話も出ましたが、
村民の為に医術を生かしたいという意志は変わらず。
鋳銭司村で、医者をしておりました。
●時に、上野の山に旧幕臣の彰義隊が集まり、
新政府に反抗をしていました。この彰義隊を一日で壊滅させないと
奥州から援軍が来て、江戸が戦火で灰の街になってしまいます。
この難しい戦争を彼は、自信をもって決行しました。
●彰義隊は三千人。信頼できる官軍は千人いません。
彰義隊を江戸中に散らばらせないように、
緻密な作戦で上野の山一ヶ所に彰義隊が集まるようにしむけ
一瞬で壊滅する方法を考えました。それが、
佐賀藩秘蔵のアームストロング砲を
加賀藩屋敷(現東京大学)に据えて
使用する事でした。
たった十発で、壊滅しました。
●江戸城内で益次郎は、午後三時頃、他藩の参謀達が焦る中
双眼鏡で上野の空が真っ赤になったのを見て、
「落ちましたな」と静かに、つぶやきました。その後、
「官軍の勝利」の報が入ってきました。
●この時の、益次郎の姿が靖国神社にある像(下の写真)です。
左手に双眼鏡を持っております。

       

●裏千家の献茶式(茶会)に参加した時の写真です。
恥ずかしいながら小生です。
●今月はこれにてお仕舞いです。
有難うございました。
●10月のよもやま話は「滝山城攻め」です。又、聞いて下さい。

ご指摘・ご意見等ありましたら、是非 こちらまでメール下さい。

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Copyright 西室 博史 2002