令和5年8月・葉月
「尼子義久」(名門大名)
●今月は、尼子義久(あまこよしひさ)が亡くなった月です。
[上の写真は、尼子義久の居城・月山富田(がっさんとだ)城の本丸跡です。
遠くに日本海が見えます。]
尼子義久は、山陰出雲地方を中心とする大大名です。
義久の「義」は、
足利義輝の「義」を貰っています。因みに、
名前は、上に有る文字(義)の方が下に有る文字(輝)より高いです。
しかも、「義」は、足利家の
通字(とおりじ)ですので、更に高いです。
●父の
尼子晴久が急死した為に義久が後を継ぎました。
その混乱時に、宿敵毛利元就に攻められて、
月山富田城(島根県安来市)は、陥落しました。
時に、義久は自決を認められませんでした。毛利元就が阻止しました。
●義久の家臣に「我に七難八苦を与え給え」の
山中鹿之助が居ます。
[上の写真は、本丸下の山中御殿(さんちゅうごてん)です。
城主の館などがありました。
ここ御殿跡に尼子氏の家紋を芝で現わしておりました。平四ツ目紋です。
尼子氏は、婆娑羅大名の佐々木道誉を出した大変な名門です。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。