令和5年7月・皐月
「渡辺勘兵衛」(豪傑)
●今月は、渡辺勘兵衛(わたなべかんべい)が亡くなった月です。
[上の写真は、
伊予今治(いよいまばり)城(愛媛県今治市)の二の丸表門です。
勘兵衛は、城普請奉行を任されました。
正面左側の大きな石(
鏡石)は勘兵衛の石です。
●主君
増田長盛(ましたながもり)が
関ヶ原の戦いで敗者側となり、
長盛の城(
大和郡山城)を明け渡すことになりました。
その城を預かっていたのが勘兵衛です。
藤堂高虎が城を受け取りに来た時に勘兵衛は、
「主人増田長盛の命で城を預かった、長盛の命がなければ
城は渡せない」と一戦も辞さず、そこで、高虎は、
高野山に預けられていた長盛に、城明け渡しの書状を
書かせて、無事、明け渡しを済ませました。
●この縁で、勘兵衛は高虎に仕えました。
[上の写真は、伊賀上野城(三重県伊賀市)です。伊予今治城の後、
藤堂高虎は伊賀上野城へ移り、その城代を勘兵衛に任しました。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。