令和4年12月・師走
「伊予宇和島」(伊達秀宗)
●今月は、伊達秀宗が徳川秀忠より伊予宇和島10万石を与えられた月です。
[上の写真は、
藤堂高虎が造った宇和島城天守閣です。
その後、伊達家が入り幕末まで続きます。写真は、二の門跡から撮りました。]
伊達秀宗は、伊達政宗の長男で伊達家の御曹司として育てられました。
秀吉に人質として差し出され、秀吉の下で
元服しました。
この時に、秀吉の「秀」を貰い秀宗と名乗りました。
しかも、
小姓となり豊臣の姓までも授かっています。
●しかし、天下が徳川家に移りますと、豊臣の姓は伊達家にとって
都合が悪いです。運悪く、政宗と
正室の間に男子が生まれました。しかも、
秀宗は、秀吉の
猶子ですので、徳川の時代では豊臣姓は立場が悪いです。
そんな時に、
大坂冬の陣の功績で、
伊予宇和島10万石の当主となりました。
●この家系から幕末の
四賢侯と云われた伊達宗城がでます。
[天守閣から宇和島港を望みます。高虎は、この港から朝鮮へ出兵しました。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。