令和3年11月・霜月
京都の大仏(火事で燃えた)
●今月は、京都の大仏が火事で燃えた月です。
京都の大仏は、始め秀吉が造りました。日本一の大きさです。
[上の写真は、大仏殿があった大仏殿跡緑地公園(東山区茶屋町)です。
秀吉が造った
方広寺(鐘銘事件の寺)の中にありました。]
秀吉は、大仏を造るので、刀剣類を出しなさい、釘や かすがい に使う、
そうすれば、現世のみならず来世も救われる。と民衆に訴えました。
刀狩りの一環です。しかし、この時に造った大仏は、
地震で倒壊しました。
秀頼の代になり、家康の策略(豊臣家の財産を減らす作戦)で、
「父秀吉の供養になる」と、大仏の再建を秀頼に勧めました。
その大仏が鋳物師の過失により燃えました。
放火と云う説も流れました。(慶長7年11月の事です)
●因みに、大仏殿の資材は、運河・
高瀬川で運びました。
[上の写真は、大仏殿跡地より見た豊国神社の後ろ側(東側)です。
ここ大仏殿跡地は、
豊国神社(正面の写真)の真裏です。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。