令和2年9月・長月
山紫水明(頼山陽)
●今月は、
頼山陽(らいさんよう)が亡くなった月です。
又、歴史に残る
川中島の戦い(四回目)があった月でもあります。
[上の写真は、頼山陽の家(書斎・京都市上京区)です。
左側の女性は、山陽の保存会の会員で案内をしてくださった方です。]
●そこで、山陽の話。彼は、儒学者で文人・
詩人です。
山陽は、風光明媚な京都の鴨川沿いに書斎兼茶室(
お煎茶)
を建て清談を交わしました。
この場所は、日本中で「最も景勝の地だ」と云う事で
山陽は、「
山紫水明処」と名付け、
「関白我也」と言ってこの景色を独り占めできることを喜んでいました。
●山陽が書いた日本の歴史書「
日本外史」は幕末に
尊王攘夷論を加速させ、尊王の志士に多大な影響を与えました。
[この部屋から、当時は鴨川が見えました。残念ながら現在は土手です。
又、部屋の欄干は、中国風の様に見えますが、
日本に古くから有る魔除けの形です。]
●10月のよもやま話は、「 」( )です。