令和7年7月・文月
「太閤堤」(豊臣秀吉)

●今月は、宇治川太閤堤が国の史跡に指定された月(2009年)です。
太閤堤とは、
巨椋池(おぐらいけ)の氾濫を防ぐ堤防です。
[上の写真は、太閤堤跡の碑です。京阪宇治駅の直ぐ近くです。
余談ですが、私の後ろの黒い横の帯状は、宇治の茶畑です。
日差しが直接当たらない様に黒い布で囲ってあります。]
●秀吉が、
伏見城築城を期に巨椋池に流れ込む
宇治川の流れを変え、巨椋池から切り離し、
伏見城の外堀にしました。更に、その宇治川を
淀川へと直接流すようにしました。大工事です。そして、
伏見城と大坂城を水運で結び
大坂から直接伏見城に通えるようにしました。
堤防を強くする為に堤防の上に道を作りました。
その堤防が、その後、大坂への東海道となり国道1号線となりました。
[上の写真は、今は無い巨椋池で漁業が盛んだった頃の大庄屋(旧山田家)です。
旧山田家は、鳥羽上皇(平安時代後期)の時代に漁業権を
下賜された特別な家です。巨椋池で大勢の人々が生活していた証です。
住所は、京都府久御山町東一口(ひがしいもあらい)です。
「一口」と書いて「いもあらい」と読みます。難読です。
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。