平成30年7月・文月
秀次切腹
●大分調子が良くなってきました。もう少しです。
●今月は、豊臣秀次が切腹した月です。
秀吉が命じました。後世秀次事件と言われています。
秀次は、秀吉の甥(姉の長男)で数少ない親族です。
[上の写真は、秀次の墓が有る瑞泉寺(京都市中京区)です。]
●7月3日突然、
聚楽第の秀次に謀反の疑いがあると糾弾され、
この10日には高野山に謹慎させられました。
15日には切腹命令が出、その日のうちに切腹。更に、秀吉は、
彼の痕跡をなくそうと京都の住まい聚楽第や
秀次の城・
近江の八幡山城を取り壊しました。
この事件で、妻妾30人以上が打ち首となりました。
●我が子(
秀頼)可愛さに秀次が邪魔になったと言われています。
上の写真の正面が秀次の墓です。
●6月のよもやま話は、「 」( )です。