●今月は、利休が嬉しくて浮き浮きした気持ちを表した月です。
●本能寺の変(天正10年6月)で信長が横死してから五ヵ月後のことです。
利休が剣仲斎に出した手紙の中で11月14日付の手紙があります。その文面で、
「近頃迷惑な事を命じられて久しく山崎に逗留している」と書いています。
この手紙の内容は、秀吉の命令で山崎の妙喜庵に有る待庵で
利休が茶事を担当することになった感想です。
[上の写真で私の向こう側が待庵です。私が腰掛けている縁側は妙喜庵です。]
日の出の勢いの秀吉は、利休に強引な命令を出しています。
その強引な命令を利休は嫌々受けましたが認められた事に喜んでいます。
又、博多の茶人・島井宗室へは大坂から出した手紙があります。
「堺に帰れないが我ながら可笑しいくらい浮き浮きした気持ちでいる。」と、
秀吉からの命令に迷惑がっているが、認められたことが嬉しくて隠しきれない利休です。
[上の写真は、島井宗室の屋敷があった所です。
写真の中央に有るのが屋敷跡(福岡県博多市)の碑です。]
●12月のよもやま話は、「朝鮮通信使」です。
又、聞いて下さい。
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