パソコンの調子が悪く往生しました。話をしたくてうずうずしていました。
●今月は、山崎の戦い(天王山)の戦いがあった月です。
●そこで、この戦いの明智光秀の話です。
[上の写真は、光秀が本陣を置いたとされる恵解山古墳(長岡京市)です。
この恵解山古墳は綺麗な形をした前方後円墳です。]
●光秀は、信長を本能寺で討った後、
京の治安が維持されている事を天皇や公家に説得しておりました。
そして、光秀の懇意な大名に見方に付くように手紙で要請しておりました。
が、誰からも良い返事がもらえません。行動がやはり急過ぎました。
どの大名も「もし、信長が生きていたら」と不安でした。
信長は苛烈な性格な為に光秀に見方したと後でわかれば
殺されてしまうという恐怖があって光秀に見方しませんでした。
●光秀は、柴田勝家を当面の敵と考え勝家への備えの為に
近江方面へ軍を配備しておりました。ところが、敵は秀吉でした。
秀吉が予想以上に早く京へ帰って来ました。
対秀吉戦に手を打つのが遅れました。
[光秀は、御坊塚に本陣を置いたと言われています。
最近の研究で御坊塚は恵解山古墳(いげのやまこふん・上の写真)と
言われています。古墳は小高い丘ですので本陣に良く使われました。]
●7月のよもやま話は、「三木城の付城」です。
又、聞いて下さい。
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