●今月は、伊達政宗の命令で、
支倉常長(はせくらつねなが)が
メキシコ経由で、スペイン、ローマへ向かった月です。
●常長は、月の浦(宮城県石巻市)から出港しました。
●目的は、貿易とキリスト教の布教のお願いです。
政宗は、「奥州の王」と名乗っております。
この事は、
徳川家康には内緒でした。
ここが、政宗らしいところです。
●常長は、スペイン国王、ローマ法王に会う事ができ、
スペインでも、ローマでも素晴らしい歓迎を受けました。
常長は、伊達政宗の国書を無事渡す事に成功し、
ローマ市民の権利を与えられました。
しかし、その後、家康のキリスト教禁止令が
スペイン、ローマに届き、
寂しく日本へ、帰ることになりました。
7年間の旅でした。
●日本に帰って来ましたら、キリスト教禁止令の為
常長は、失意のまま亡くなりました。
常長の話は、禁句とされ
世の中から忘れられ、明治になってやっと陽の目を浴びました。