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今月のよもやま話

平成13年8月・葉月

米沢の話

●先月、山形県米沢市へ行って来ました。
「上杉鷹山生誕250年祭」を今年9月に迎える為、
準備で街が賑やかでした。
●八王子は7月にお盆を迎えます。その休みを利用して、
米沢に行って来ました。
やっとです。2年前に米沢行きを計画しましたが、
延期、延期で今回となりました。
米沢は歴史の話題の多い町です。
独眼龍・伊達政宗が生まれた処で、政宗の「泣いて父・輝宗を撃つ」事件。
千利休の高弟で、文武兼備の名将・蒲生氏郷の支配。
そして、上杉家の時代・世継騒動・赤穂浪人の事件・上杉鷹山・
話が尽きない町です。
●私にとって「上杉」と言うと「謙信」、「謙信」と言うと「信玄」です。
つい比べてしまいます。
●八王子に生まれ住んで居ますと、甲府が地理的に近いもので、
武田信玄は神様ですが、
戦好きの上杉謙信は、信玄の好敵手程度にしか、
私には見えませんでした。
でも、米沢では、謙信は神様でした。
●信玄は、川中島の戦いで、
越後勢[謙信]の戦火より長野の善光寺を守る為、
本尊を甲府に移しました。
これが、甲府善光寺となりました。
又、釜無川が氾濫するので川の勢を消滅させる為、
特殊な堤[信玄堤]を構築しました。
●謙信はと言うと、
甲州勢[信玄]の戦火より善光寺を守る為、
やはり、本尊を春日山[上越市]へ移し、
2代目景勝が国替と共に米沢へ移しました。
又、松川が、よく氾濫するので
家老の直江兼継が信玄堤とは少し違いますが、
堅固な堤防を作ったのが現在米沢郊外に直江堤として残っております。
名君は同じ様な事を考える物だと思いました。
直江兼継の話は後日させて頂きます。
●お土産やさんに米沢織[これは、鷹山が考えました]のコーナーが有り、
そこに巾着袋が展示して有りました。
それには、「信玄袋」と書いて有るのを見て、
信玄ファンの私は、
「よしよし、信玄、勝ってるぞ。」と思わず微笑んでしまいました。
●さて、上杉家は、
会津百二十万石が関が原後、
四分の一の米沢三十万石に減封されました。
家臣はほとんどそのまま藩主景勝を慕い付いて来ました。
その為生活が苦しくなり、兼継の案で、
藩士の家に食用・漢方薬になる「ウコギ」を
垣根[下の写真]として植えるのを奨励しました。
●その武家屋敷町が芳泉町に残っていると伺い、行ってきました。
私は武家屋敷と聞き立派な瓦の門構えの屋敷を想像しておりましたが、
家風が質素を宗としておりますので茅葺の家でした。
●質素と言うと、米沢城の天守閣ですが、これは、
質素の現れでもあるのでしょうが、
関東[徳川家]に遠遼して作らなかったのも事実でしょう。


●町から少し離れています。
今回も、歴史好きの我家の犬は一緒です。
●今月は、これにてお仕舞いです。
有難うございました。
●9月のよもやま話は、「火牛の計」です。又、聞いて下さい。

ご指摘・ご意見等ありましたら、是非 こちらまでメール下さい。

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Copyright 西室 博史2001