令和6年6月・水無月
「斎藤利三」(本能寺の一因)
●今月は、
斎藤利三(さいとうとしみつ)が刑死した月です。
[上の写真は、真如堂(京都市左京区)にあります斎藤利三の墓です。
さいとうくらのすけとしみつ と有ります。
案内板があり、意外と分かりやすかったです。]
斎藤利三は、
明智光秀の重臣です。
本能寺の変後の
山崎の戦いで敗れ、刑死しました。
その遺骸を友人で絵師である海北友松と
東陽坊長盛が奪い取り
真如堂に埋葬しました。
●実は、利三の妹は、四国の長宗我部元親に嫁いでいます。
信長は、長宗我部(ちょうそかべ)攻めを計画していました。
この6月2日に信長軍が四国へ出陣する予定でしたが、
その当日の朝に本能寺の変の報が入り立ち消えになりました。
●四国攻めが、本能寺の変の決断に影響を与えたと云われています。
[利三の墓の右側にある五輪塔は、利三の遺骸を東陽坊長盛と共に奪い
ここに埋葬した海北友松の墓です。
その東陽坊長盛の墓は直ぐ近くです。]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。