令和5年10月・神無月
「鳥取城開城」(秀吉城攻め)
●今月は、鳥取城(鳥取市東町)が開城(吉川経家)した月です。
[上の写真は、鳥取城の本丸跡です。遠くに日本海と砂丘が見えます。]
●秀吉は城攻めの天才です。味方の損害を極力抑えました。
その城攻めとは、
三木城の兵糧攻め、
備中高松城の水攻め。
そして、今月の鳥取城の兵糧攻めです。
後世「鳥取城の渇(かわえ)殺し」と云われました。
司馬遼太郎は余りにも凄惨(せいさん)で書けないと言っています。
●それは、事前に鳥取の米を他国の商人に高値で買い占めました。
この時に、城には1400もの兵が居ました。兵糧は20日分です。
そこへ、付近の農民2000人以上を城内へ追いやりました。
たちまち、お米は不足し、兵糧は尽きました。
[上の写真は、鳥取城の球型をした石垣です、天球丸と呼ばれています。
その名前は、私の居る所に
天球院の屋敷がありましたので、
この名前が付きました。
実は、江戸時代の中ごろに石垣が崩れかかりました。その時に、
この方法(巻石垣)で修理しました。
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。