令和4年5月・皐月
猿が辻の変(姉小路公知)
●今月は、「
猿が辻の変」が起こった月です。
「朔平門(さくへいもん)外の変」とも呼ばれています。
[上の写真は、御所の朔平門です。猿ヶ辻の直ぐ近くです。
朔は、北側と云う意味です。内裏の北側正面にある門です。]
●尊王攘夷の急先鋒だった公家の
姉小路公知(25歳)が覆面をした刺客3人に暗殺された事件です。
●姉小路公知は、
三条実美と並ぶ尊王攘夷派でした。
事件の現場に、薩摩藩士・田中新兵衛の刀が残されていた為に
その田中新兵衛が犯人と疑われました。が、
取り調べ中に自刃した為に犯人不明のままです。
しかし、この事で、薩摩藩は御所の警備を外されました。
●この三ヶ月後に起こる
七卿落ちのきっかけとなりました。
[上の写真は、清浄華院(上京区)にある姉小路公知(あねこうじきんとも)の墓です。
墓碑には、「
藤原公知」の墓とありました。「ふじわらのきんとも」と読みます。
姉小路は、通称です。 ]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。