令和2年4月・卯月
津田宗及茶湯日記(福地山)
●今月は、「
津田宗及茶湯日記」の天正9年4月の話です。
●宗及が明智光秀の丹波平定のお祝いに
福地山へやって来た話です。
[上の写真は、光秀が造った福知山城天守閣(京都府福知山市)です。
それまでは横山城と呼ばれていました。
光秀が丹波を平定した時に福知山城と命名しました。]
●日記によると、4月9日に丹波
亀山(光秀の領土)を出立し、
道中あちらこちらで振舞を受けながら福地山へ到着しました。
翌10日朝、
明智彌平次が
七五三の膳で宗及を振舞ました。
12日、
惟任日向守親子三人、
長岡兵部太夫親子三人、
連歌師
里村紹巴、茶人
山上宗二、やはり茶人
平野道是と
兵部太夫の領土・名勝天の橋立に出かけました。
やはり、あちらこちらで振舞を受けた。と、
日記にあります。
[上の写真は、光秀が由良川の氾濫を防ぐ為に土手を造りました。
明智藪(福知山市字堀)と云われている堤です。
由良川と土師川が合流するところです。]
●最後になりましたが、
福知山市郷土資料館のAさんには大変お世話になりました。
貴重な資料を快く送って頂き有難うございました。
●5月のよもやま話は、「 」( )です。