●今月は、利休が切腹した月です。そこで、利休の話です。
前回、「茶の湯は利休によって大きく変わった」とお話しました。
茶杓もそうです。利休以前は、金属か象牙でした。
竹の茶杓も有りましたが節が邪魔で節なしを使っておりました。
利休はあえて節を目立つところで使い美的アクセントとしました。
利休が削った茶杓に 「天正二年春」と針彫りが有ります。
[上の写真は、堺の南宗寺にある利休遺愛の袈裟形手水鉢です。
利休ゆかりの茶室実相庵前にあります]
●最後に、利休が「天下一」になった話です。
ある時、秀吉が利休に「茶の点前を見せろ」と命令しました。
利休が点前を見せたところ秀吉は、自分も昔茶の点前を習ったが
その点前と違うがどうしてだと利休に尋ねました。
すると、利休は、「古流は所作が多く複雑すぎて面白くありません。
余分な所を略しました。」と答えました。
秀吉は、その事をよく理解し、感心して
「今後、茶をする者は利休のような点前をするように」と言いました。
この時に利休は「天下一」の茶人となりました。
[上の写真は、利休も茶の湯に使ったと云われている「柳の水」です。
現在は、染物工場になっております。
この写真は、平成25年5月に学而軒で家元見学に行った時の写真です。
こちらは、村田珠光邸跡でもあります。
こちらの工場の斜め後ろに私が京都(丁稚)時代に勤めた会社があります。40年以上前の話です。]
●3月のよもやま話は、「肥前佐賀藩」(鍋島直茂)です。
又、聞いて下さい。
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