令和7年9月・長月
「長束正家」(対家康への奉行)

●今月は、長束正家(なつかまさいえ)が切腹した月です。
[上の写真は、正家が居た水口岡山城跡(滋賀県甲賀市水口町)で
石垣跡に向かう道です。]
●正家は、秀吉亡き後の豊臣政権の奉行です。
家康が豊臣政権を乗っ取ろうとしていましたので、
その乗っ取りを防ぐシステムが奉行制です。
奉行は、五人でしたので、後世
五奉行と呼ばれました。
●正家は、関ヶ原の戦いでは大坂方(三成方)に
付きましたが、味方のはずの
吉川広家が大坂方に味方しないで
動かなかった為に三成、
宇喜多秀家軍が戦っている
戦場へ駆けつける事が出来ず、何も
しないで敗北と云う形になりました。
正家は、自分の領地へ逃げましたが結局は家康に捕まりました。
[上の写真は、頂上で本丸跡と云われています。
下の速玉神社のバス停から歩き、 帰りは、近江鉄道水口駅まで歩きました]
●今月は、これにてお仕舞です。有難うございました。